naccyan 今!

~あなたとわたしを輝かせるあの手この手!あっちからこっちから!と、naccyanの今!~

人の荷物を背負う必要はない

 

人の荷物を背負う必要はないんだって

このところ思っています

 

よかれと思って

その人の荷物を背負うことで

「自分」と「その人」は

依存の関係になります

 

よかれと思って

人の荷物を背負っている「自分」は

「その人」に依存をし

「その人」もまた

自分の荷物を背負わないことで

人に依存しています

 

おもしろいのは

その人のためにやってあげていると思っている「自分」は

一見自立した立派な人間に思えるのですが

はやり依存なんですね

 

 

 

「その人」は「その人」の荷物を背負って

「その人」の人生を

自らの足で生き

力強く成長していく

 

それが本来の姿

 

けれども

「その人」は自分の荷物を背負わずにいるがために

いつまでも成長せず

同じ場所に居続ける

大変だよ

助けてよって

同じことを繰り返す

 

「その人」の成長を妨げているのが「自分」

っていうわけです

 

 

「自分」もまた

「その人」が成長せずに

そこに居続けることで

何かしらのメリットがあるはずなんです

たとえば、さみしさがまぎれる、とか

必要とされている実感がわくとか・・・

 

 

 

私の中にも

共依存の関係を見つけました

少しまえまでは

「その人」のためと思って

やってきていること

 

でも、今自分が自立の道に向かって

右往左往しながら進んできている今

やっとみえてきました

 

このままではいけない

 

わたしはわたしの人生を生きる権利があり

その人はその人の人生を生きる権利がある

 

お互いに

その権利を奪い合ってはいけない

 

 

やっぱり

私が背負っているその人の荷物は

その人のものなんだ

私はその人の成長のためにも

手放そう

その人の力を信じて

 

 

そう思ったときに

ふっと湧いてくる一抹の「さみしさ」が

私の中にある依存の正体でしょう

 

さみしいけれど

ありがとうと言って

わたしは

わたしだけの荷物を背負って

わたしの人生を歩いていきます

 

それでその「共依存」の関係を結んでいるのは

きっと一人とだけじゃないはずなんです

共依存の性質を今持っているなと感じたひとは

いろんな人と結んでいる

 

私にも思い当たります

 

それでね

おもしろいのは

その思いつく相手一人一人を対象にして

関係解消に取り組む必要はないってこと

 

わたしが変わればいい

相手を変えようというのも

一種の依存です

 

どんな出来事も

まずは

自分を変えようとすること

その姿勢をいつも当たり前のように自分の基本とすること

(それは簡単ではないですが、努力し続けるのです。

私もずっと努力してます。ここは変わらない。

失敗もするし、ちょっとずつでも、変えない。)

そうすることで

周りが変わってくる

 

 

さてさて

今日も自分の一日を始めるとしましょう!