きれいなもの
わたしは
きれいなものがすき。
こんな風に今日も、お花を窓辺に飾って
一人にんまり、きれいだなぁ~って思っている。
それでだから、お花もスキだし、花のセラピーなんかももっとやってみたいなと思う。
それで、そんな自分を受け入れつつ、楽しいな~きれいだな~と進んでいくと
いつも、は!っと気が付く。
こんなことがやりたいわけじゃない。
こんな自分になりたいわけじゃない。
なんなの
なんなの?って。
あんなに楽しいと思っていたのに、今のこの気持ちは!って。
そして気づいたのです。
花=きれい
花がすきなわたし=きれいでなければならない
という枠のなかに、いつの間にか自分がすっぽりと入って
わたしの心と身体には、何重もの分厚い殻がはりついて呼吸困難。
おもしろくない、楽しくない。なに?この自分らしくない感じ!になっていたのです。
きれいなもの、きれいな花が好きだから
またはたとえば花のセラピーを提供するから
いつも、きれいに(美人とか、そういうことじゃなくて)、なんかこう・・わたしがイメージするお花がすきな女性(しっとりとして、おしゃれで、物静かで、女性らしくて)でいなければならない
っていう、感じで、自分が勝手に自分を縛り始めるの。
そんな自分でなければ、お花がスキでお花を提供する人として、ほかの人が見たときに、えーって思われないかなとか、きっと無意識に、そんな自意識過剰ちゃんが私に語りかけているのだと思う。
そして、わたしがイメージするお花が好きな女性が、この「わたし」と矛盾しなければそれはハッピーなことでオッケーなことなんなけど、
実際のわたしは、おそらく、そのイメージにそぐわないので「そうあらねばならない」と一生懸命にその枠に当てはまろうとがんばるわけだけれど、
結局のところ、最後にはいつも無理してるから疲れて、
そして面白くなくなっちゃう。自分らしく、楽しめなくなっちゃう。
あれ?あれ?こんなはずじゃー・・・の繰り返し。
花がすきで、きれいなものがすきっていう気持ちは本当なのにね。
その気持ちに合ったイメージの自分になろうなろうと思うわけ。
なんという無意味さ。滑稽さ。
この謎ときができたのはつい最近。
謎解きができたから
自分にとって何が大切か
わたしは、わたしとして生きることを大切にするわけだから、
応えは自ずと出てきます。
きれいな花がすきなわたし ノットイコール わたし自身がお花のようにきれいで女性らしくしていなければならない
きれいな花がすきなわたし イコール それがわたし ただそういうこと
わたし、何をしようと思っているかというと
この生活でついてしまった殻を破ろうと思っている
殻の中で苦しいよっていっている「わたし」を出してあげようと思っている
つまりは
生き方を変えること
急に、楽しくなってきました
内側からエネルギーがわいてくるような
この感覚 この感じ!
大切にしたいのは、この感じ!