宝物として取っておく言葉
先日のセミナーの後、ご一緒させていただいている少し年上の女性とのメールのやり取りで、
とてもとても励みになる言葉をいただきました。
本当に、私は、こんな言葉を与えてくださるその方が、なんて素敵な方なんだろうって
その方のように私もなりたいし、私も何か言葉のお返しがしたくなりました。
その機会を待っています。
そして○○ちゃんの気持ちが、時間をかけて、全身で感じてきたからこそ、
まあるく、柔らかく、研ぎ澄まされて、
謙虚に、穏やかになっていることを感じました。
痛みを知っている人は
優しいです。
傷ついた分だけ、優しくなれます。
○○ちゃんのオーラが、優しさと、なにか抜けたような
清々したオーラで、
みていて、とてもきれいでした。
分かってくださる人がいる。
応援してくださる人がいる。
見ていてくださる人がいる。
感じてくださる人がいる。
たくさんの出来事があって、今この場所に来て、
出会えなかった人たちに出会えて、
本当に、その出来事があってこそなんだと、
感謝と感動が溢れてきます。
私は何ができるかな、と思います。
いろいろ本を読んだり、
その本の一節や自分の想いを書き出したり、
自分にとってこれは重要、これはそうでもない、という視点で、
正しい、正しくない、ではなく
自分にとって、どうなのかなっていう視点から、
自分の信念を創り上げていきたいなと思う。
これまでのように堂々巡りをしないように
(それもそれでよかった。なぜなら潜在意識にまでちゃんと届いていると思うから。)
書き出すことって大事なだなと思える。
いいぞいいぞ!と自分を励ましながら、
そして私は応援してくださる方々に恩返しがしたい。
自分が変わること、自分が成長することによっての、
その姿やその影響や、周りの人たちにとってもきっと何かいいものがあると思う。
そして、だからと言って、何かにとらわれることなく、まじめになっちゃうのではなく、
より自由に、もうこのままの私、自由な状態での私で楽しむ私を見てほしい。
そのために、そうなるために、何をするかっていうこと。
それで私は焦りを手放したから、時間はたっぷりある。数年後でも構わない。
だけれどもその間成長する努力をする。成長というか、変化、変わっていく、変えていくということに対して努めるということ。そしてそのこと自体、その過程そのものが、私のしたいことなのかもと、うっすら思いつつ・・・答えは決めない。