naccyan 今!

~あなたとわたしを輝かせるあの手この手!あっちからこっちから!と、naccyanの今!~

幸せとは

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今読んでいる本。「JOY」→

(説明書きにスピリチュアル入門書、とか書いてあるけれど、なんでもかんでもスピリチュアルっていうカテゴリーにすればいいというものでもないと思う~!)

まだまだ触りだけれど、私にとってたくさんの気づきがある本。

今なるほどーーと思っている箇所の、ちょっと抜粋と要約。

 

「幸せ」は「追及」するものではなく

「起こる」ものである。

だから、幸せとは全く関係のないことをやりなさい。

「幸せ」は常に副産物なのだ。「幸せ」を「追及した」結果ではない。

あなたは、薪割りをしていたかもしれない。薪を割ることは確かに「幸せの追及」ではない。

しかし、早朝の日光の中、涼しくて、あなたの斧が薪の上に落ちる音がする・・・・あなたは汗をかき始め、そして涼しい風が、前よりもあなたをもっと涼しく感じさせる。突然、幸せが、あふれるばかりの喜びがここにある。。。しかしあなたは薪を割っているだけだ。

 

 

というもの。私にもこの感覚が分かる。一度は早朝の公園の散歩をしていたときに、(それはもちろん幸せを探しに出たわけではない)疲れたのでベンチに腰を下し、

ふっと見上げた時、木々の間をそれはそれは美しい光が差していて、この世が静止したようで、私は本当に幸せを感じたのでした。その光景はかれこれ20年ほど前のことですが、今でも鮮明に覚えています。

あぁ~あの瞬間わたしは幸せの中にいたんだ!という気づきが今起きています。

 

私が、あっちからこっちから探し求めていたことがもしかしたら、この状態のことなのかもしれない・・・!まさに「探し求めて」「追及」していたから見つからなかったのかも。そしてなんで探し求めるかというと、その状態を知っているからなんだよね。誰もが。知らなければ求めることもしないんじゃないかな。

 

 

それから文中に「バガバッド・ギーター」(ヨガの経典みたいなものなのかな。)のクリシュナの言葉を用いて

「結果については何も考えるな。これこそが最高の美と意味と真実のメッセージだ。結果については何も考えないこと。全力を尽くして自分が今しているおとをしなさい。それに没頭しなさい。自分を忘れて打ち込みなさい。そこに自分がいてはいけない。あなたの創造のエネルギーを妨げずに流させなさい。」

 

ということ。画家も、音楽家も、踊り手も、していること自体に没頭するということ。そしてそれは芸術家にとってだけでなく、誰にとってもそうであるということ。

 

私はピアノを習っていました。習っていたときは間違ってはいけない、うまくならなくてはいけない(=結果を考えていた)と思っていたときはちっとも楽しくなくて、

今大人になって、趣味で楽しんで弾こうと、それもうまい下手ではなく、ただ自分の弾く音に酔いしれて(=没頭できている)、あ~なんていい音楽なんだろ~っとうっとりとする瞬間、幸せが訪れる気がします。

 

 

私は、芸術家だけが芸術をするのではなく、生きることそのものが芸術だって思っているところがあります。おそらく職業に関係なく。それが思っているだけでなく、体現できているときの一日の充実感。一方で、何かに縛られているとき、「私は○○なんだから、こうあらねばならない」の中にいるとき、頭痛が起きたり眠りが浅かったりします。身体は正直です。そんなとき、何に、どんな思考で、自分を縛っているのかな?と問いかけたりします。答えはいつも自分の中にあります。私の場合、自分をよく見せようとか、それはつまり自分と人とを比べたり、あとは人に認めてもらいたいがゆえに、自分らしくない自分を演じるとか、そういうことが多い・・かな。その、認められたい人が最終的になんの責任もとってくれるわけではないのにね。もったいないね、自分。意味ないね。

 

この間、現代芸術家、篠原有司男&篠原乃り子夫妻が生番組に出ていました。

このご夫妻のエネルギッシュなこと。

この方たちは、上のようなことを知ってるんだなって、そう思います。

ドキュメンタリー映画が放映されるようで
観に行こう。楽しみ♪

「キューティー&ボクサー」公式ホームページ → 

 

あ~長くなったぁ~!

乱文になりました~あしからず^^