花-花!
昨日もらってきたお花さんたち。
けいとう、百日草、ダリア、おそらくライスフラワー。
右下は8月にハワイに旅行に行ったときのハワイ島からオワフ島に向かう空港で
花が好きな甥っ子にと、ハワイのお花プルメリアの茎を買ってきたもの。
結局母が育てることになり、そして宇都宮ではこれからの朝晩の冷えが激しいので
横浜の私のところに持っていってということで今回持ってきました。
家の中を行ったり来たり、今朝から家を空けた後の片づけをし
この花瓶の中に咲くお花に気づく度生きたエネルギーを感じます。
野の花は派手さはないけれど、かわいいしほっとするような魅力があるなと感じます。
田舎だったら、こういうお花が庭や、庭になくてもちょっと歩くと
畑だったりほかの人の家々で、それらを見ることができるけど、
マンション暮らしの多い都会では、本当に日常に草花がそばにある生活というのは
よほど意識していないと難しいと思う。
都会暮らしがストレスが多いというのも納得してしまう。草花が少ないし
地面はアスファルトに覆われ大地に直接触れることも少ないし、
空は狭くて一日のうちに変化する空の彩の変化も見ることも少ない。
田舎にいたら、たとえ同じように忙しい毎日であっても、無意識でも、それらを感じることは、都会よりも多い。
人間も自然の一部だというのが私の今の考え。自然の中にいて自然に触れることで
安らぎと安堵感を得、その中でより自分が広がっていく。母なるものに抱かれるような安堵感。
草花とともに、私は育ってきたんだなと、都会のマンション暮らしを通して
今改めて思います。
ほおずきだったり、今だったらケイトウだったり、彼岸花だったり、
子供のころは祖母がわたしに草花と遊ぶことを教えてくれた。祖母は特にさつきが好きで、50鉢くらい育てていた。
それらは大谷石という地元で取れる白っぽく軽い石で組まれた花台に置かれて
小さかった私はその台の下をくぐって遊んだ。
花台の下の世界は特別で、ナメクジや名前を忘れてしまったけどおもしろいクモがいたり、
じめじめとした中に草の香りを感じたり、もちろん時々鉢を倒したりもした。
母と祖母の力関係がだんだんと変わってきて、新しく家を父と母が建てるときに、
それらのさつきは処分されてしまった。
わたしはそのとき大学生で実家を離れていたから、そのときのやりとりを知らない。
今思うと、あんなにかわいがっていたさつきたちを手放した祖母の気持ちは
いかばかりだっただろう・・・。大人になった今やっと感じることができる。
祖母がわたしに教えてくれたことも。
そして父も母も花が好きだ。
今わたしは、空が広く見えるマンションにいるから、それは本当にありがたい。
ここに来る前は、目の前もマンションで一階だったから、いつも圧迫感を感じていました。
夫にいうと都会ではそれが当たり前なんだよと、私が田舎育ちだからだよ、というけれど、当たり前だからといって慣れるものでもないもんね。
朝は曇っていたけれど、だんだんと空が明るくなってきました。
今日はこれから運動してきます!